お知らせ 五重相対 五重相対(ごじゅう・の・そうたい)とは、日蓮が立てた教判の一つ。『開目抄』で説かれている。一切の思想や宗教を比較・検討し、その高低・浅深・勝劣を判定したもの。 概要 1 内外相対 2 大小相対 3 実権相対 4 本迹相対 5 教観相対 6 種脱相対 概要 日蓮は、釈迦仏一代の教えはもちろん、世間にあるすべての思想や宗教を比較検討し、教理の高低・浅深・勝劣を比較し、すぐれたものを段階的に五重に選択した。五重とは、内外・大小・実権・本迹・教観(あるいは種脱)のことである。『法華経』如来寿量品に顕されたとする、事(じ)の一念三千である妙法五字が末法の究極の教法であるとする。 内外相対 内とは、内道(ないどう)のこと。仏教のことをいう。 外とは、外道(げどう)のこと。仏教以外の教えのことをいう。 思想哲学や宗教の中には、内道と外道に区別される。仏教以外の教え、つまり外道は因果の理法を説かず、仏教は過去・現在・未来の三世にわたる因果の理法を説く。 大小相対 大とは、大乗の教えのこと。 小とは、小乗の教えのこと。 仏教の中でも、大乗と小乗に区別される。小乗教は自己の解脱・悟りのみを目的とする。それに対し、大乗教は自利・利他共に解脱・悟り、得脱せしめんとする。 実権相対 権実相対ともいう。 実とは、実教(じつきょう)のこと。 権とは、権教(ごんきょう)のこと。権は「仮の」を意味し、仮の教えのこと。 大乗の中でも、権教と実教に区別される。釈迦仏は法華経直前の開経とする『無量義経』に「四十余年未顕真実」(40余年には未だ真実を顕さず)と述べたとおり、法華経以前に説かれた経典はすべて仮の教え、つまり権教である。それに対し、『法華経』方便品で「要当説真実」(かならずまさに真実を説く)と述べたとおり、法華経こそが実際真実の教え、つまり実教である。 本迹相対 本とは、法華経の本門(ほんもん)のこと。 迹とは、法華経の迹門(しゃくもん)のこと。垂迹(仮にあらわした姿)のこと。 法華経28品の中でも、本門と迹門に区別される。法華経前半部14品では、諸法実相や十如是、また二乗の成仏を説いたが、ここでは釈迦仏はいまだインドで誕生して菩提樹下で悟りを得た始成正覚(しじょうしょうがく)として、本仏が迹(あと)を垂れた、仮に現した姿を説いた法門にすぎない。つまり迹門である。 これに対し、法華経後半部14品、特に如来寿量品で、釈迦仏は菩提樹下で悟ったのではなく、実は久遠の大昔に悟りを得た久遠実成であったと説いた。 つまり始成正覚の釈迦仏は迹門として現した仮の仏の姿であるが、久遠実成の釈迦仏こそ本門として本地・本体である真実の仏の姿を現し、法華経の文底に事の一念三千を沈めた。 釈迦の段階では事の一念三千を説くまでは至っていないが、無量義経にて説かれている「四十余年、未顕真実」の一文から解釈するに、未来において法華経の文底から事の一念三千を見つけだす者が出現するという前提で、沈めたと思われる。 なお、天台大師は法華経の文底より理の一念三千を洗い出し、更に時が進み、日蓮において初めて事の一念三千が説き明かされた。 『開目抄』では、本迹の相対ではなく、迹門の二乗作仏と爾前経の不成仏を明確化させるために、権迹相対を説いている。 なお、日蓮の滅後、門弟間で本迹の相違に対する議論が起こり、本迹に勝劣はなく一致であるとする一致派と、本門が勝れ迹門が劣る(本勝迹劣)を主張した勝劣派とに分かれた。 教観相対 日蓮宗では、五重相対の最後を、この教観相対とする。 教とは、文上の教相(きょうそう)のこと。文上とは法華経の経文上にはっきりと書かれていること。 観とは、文底の観心(かんしん)のこと。文底とは法華経の経文上ではなく、底に沈んでいること。 法華経・如来寿量品にも、文上の教相と文底の観心に区別される。 日蓮は『開目抄』で「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづ(沈)めたり、竜樹・天親・知ってしかも・いまだ・ひろ(拾)い・いだ(出)さず但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり」と述べている。これを文底秘沈(もんていひちん)という。 文上の教相とは、法華経の経文の上に示された理論理屈、つまり文証と理証である。 文証と理証の詳細は三証の項目を参照 しかしそれは実践(現証)がないと意味をなさない。したがって身・口・意で法華経の底に沈められた内証・妙法蓮華経の五字を読んでいくことであるとする。 日蓮の滅後、門弟間において、これをどう解釈するかでまた議論があり、文の底に沈められているのは、事の一念三千であるとする身延山などの一般的な日蓮宗諸派と、三大秘法の妙法あるいは南無妙法蓮華経であるとする富士門流に分かれた。 種脱相対 富士門流および日蓮正宗などでは、教観相対ではなく、この種脱相対をもって五重相対の最後とする。 種とは、下種(げしゅ)のこと。 脱とは、解脱(げだつ)のこと。 下種と解脱の詳細は三益の項目を参照 釈迦仏の説いた法華経本門の経文上では、過去世に下種された本已有善(釈迦仏の機縁がある)の正法時〜像法時の衆生を成仏せしめる脱益の教えである。これに対して、過去世に下種を受けていない本未有善(釈迦仏の機縁がない)の末法時の衆生には、釈迦仏の説いた法華経では無益であり、過去の暦のように用をなさない意味のないものである。したがって法華経本門の文底にある、本因妙・文底下種益の南無妙法蓮華経を信受けなければ成仏し得脱することはできないという。 日蓮正宗などでは、権実・本迹・種脱を三重秘伝と呼び、特に種脱相対をもって日蓮大聖人の出世の本懐・文底独一本門・事行の一念三千を明かしたとする。この種脱相対は日蓮正宗のみに伝えられてきた法門であり、諸宗各派が知らないところから秘伝という。 [PR]動画